1969年、アメリカのアポロ計画によって、初めて地球から約38万キロメートル離れた月に人類が到達しました。
しかし、アポロ計画による月面着陸はアポロ11号から17号までの合計6回。
アメリカはもちろん、その他の国でも、その後45年以上もの間、有人月面探査は行われませんでした。
なぜ人類は技術的に可能なのに月面探査を長い間行ってこなかったのでしょうか。
その理由についてまとめてみました。
最近人が月に行かないのはなぜ?
最近はなぜ有人月面着陸が行われなくなったのでしょうか。
技術的には可能となったのにも関わらず、です。
冷戦の終結により宇宙開発の競争が薄れる
まず、月面着陸が盛んだった理由として、冷戦時代だったということが挙げられます。
第二次世界大戦後、アメリカとソビエト連邦(ソ連)は宇宙開発でしのぎを削っていました。
アポロ計画は、ソビエト連邦のヴォストーク(ボストーク)1号に対抗するために始まり、1969年にアポロ11号が月面に着陸しました。
ヴォストーク1号とは、1961年にソビエト連邦によって行われた人類初の有人宇宙飛行、およびそのミッションで使用された宇宙船の名称です。
ヴォストーク1号の宇宙飛行士はユーリ・ガガーリン。前人未到の大気圏外へ旅をし、地球周回軌道に乗った初めての人類です。
「地球は青かった」という名言の元となった宇宙飛行士ですね。
当時アメリカとソビエト連邦は常に競い合う間柄だったのです。
しかし、ソビエト連邦が自壊し、冷戦の緊張が緩んだ後は、政治的な意欲や予算が減少し、有人月面探査の継続が困難になりました。
アメリカとソビエト連邦が競い合うことで、宇宙開発に拍車がかかっていたのですね
予算の確保が困難となり優先順位から外れた
宇宙開発事業には予算の確保が重要です。
なぜなら有人月面探査は非常に高額でリスクのあるプロジェクトだからです。
つまり政府にとっての優先順位と予算によって可能か不可能かが決まるのです。
結果として、他の科学技術の課題や国内問題に資金が割り当てられる必要があったため、月面探査は後退しました。
予算の確保が難しくなったんだね
予算が確保できなければ、研究もできませんからね
技術の進歩
さらに、技術の進歩も一因です。
有人月面探査は技術的には可能ですが、無人探査機やロボットの進歩により、月面の探査やデータ収集が効率的に行えるようになりました。
有人探査は高いリスクを伴うため、無人探査に比べて優先度が低くなりました。
無人でも可能ならば、より危険でコストのかかる有人にする必要はないということですね
再び月に行く計画がスタート
結果45年以上も有人月面着陸から遠ざかっていたわけですが、再び月に降り立つ機会が見えてきました。
流れが変わった理由としては、国際協力と民間企業の参入が重要な要素となっています。
国際的な宇宙協力や民間企業の台頭により、有人月面探査の再開が検討され始めたわけてすね。
有人月面調査を楽しみにしていた人は多いんじゃないかな
夢や憧れがありますよね。かくいう私もその一人ですけどね
例えば、NASAと民間企業の提携により、新たな有人月面ミッションが計画されています。
これが『アルテミス計画』ですね。
2025年にアルテミス2号で4人の宇宙飛行士で月を周回。
2026年にはアルテミス3号で有人月面着陸が予定されています。
楽しみですね。
まとめ
近年人類が月に行かなくなった理由についてまとめると、冷戦の終結により宇宙開発の競争が薄れたこと、予算の確保が困難となり優先順位から外れたこと、技術の進歩のより無人でも高度な探査が可能になったことなどが挙げられます。
しかし、アポロ計画から45年以上経って、再び人類を月に送り込む計画がスタートしました。
ミッションの名前は『アルテミス計画』。
アルテミスはギリシア神話神の名前で、アポロンの双子の妹で月の女神ですから、とても相応しいネーミングだと思います。
今後の宇宙開発の動向がとても楽しみですね。ぜひとも応援させていただきたいと思います。