青い機体とアクロバット飛行で有名なブルーインパルス。
憧れている方も多いのではないでしょうか。
航空祭でもたくさんの人がブルーインパルスを見に行きますね。
そんな華やかなイメージのブルーインパルスですが、過去に事故はあったのでしょうか。
気になる方もいらっしゃるのではないかと思いますので、まとめてみました。
ブルーインパルスの過去の事故は何回?
ブルーインパルスの過去の事故は何回程あるのでしょうか。
確認したところ、6回でした。
以下に詳しくまとめていきますのでご覧ください。
1960年代
1961年7月: 訓練中に伊良湖岬沖(愛知県田原市)で墜落。次期編隊長要員だった加藤3佐が殉職。
ブルーインパルスは1960年に誕生しました。
3月4日に浜松北基地(現在の浜松基地)で初の公式展示飛行を実施しています。
翌年に事故が起きてしまいました。
少しのミスが命取りになるブルーインパルスの過酷さがあらわれているね
1965年11月: テイク・オフ・ロール時に失速して墜落。パイロットの城丸2尉が殉職。
追記をすると、『テイク・オフ・ロール』とは、離陸滑走(離陸のため加速する状態)のことだそうです。
1980年代
1982年11月: 浜松基地航空祭にて『下向き空中開花』という課目を行っていた時に、会場近くの駐車場に墜落。
パイロット高嶋1尉が殉職し、民間人14名が負傷。
この事故は展示飛行(アクロバット飛行)中に起こった唯一の事故だということです。
原因は編隊長の指示の遅れとなっています。
1990年代
1991年7月: 金華山沖(宮城県石巻市)で訓練中に2機が墜落。式地1尉と浜口1尉の2名が殉職。
低高度で海霧の中に入ったことにより、編隊長機が空間識失調に陥ったのではないかと言われています。
海霧とは海で発生する霧のこと。
発生条件は、暖かく湿った空気が温度の低い海面上に流れ込み、その空気が冷やされることにより、空気中に含みきれなくなった水蒸気が凝結して微水滴となり、海霧となるようです。
外から見ると海の上に雲が乗っているようなイメージだそうです。
自然はやはりすごいですね。
2000年代
2000年: 金華山沖(宮城県石巻市)での訓練を終えて帰投する途中、5番機と6番機が宮城県牡鹿町の光山山頂付近に激突。阿部3佐、一嶋3佐、梅川1尉の3名が殉職。
訓練の最後に行われた飛行で本来の訓練空域から外れてしまい、飛行ルートを誤認したことが原因だと言われています。
空には道路のような明らかな標識はありませんから、空域を把握するのも大変そうです。
少しのミスが命に直結するということを再認識させられますね。
2010年代
2014年: 松島基地から南東に約45kmの太平洋上で1番機の機首部と2番機の左後方が接触し緊急着陸。犠牲者はなし。
このブルーインパルスの接触事故は、ブルーインパルスが1960年に発足して以来初めての接触事故となるそうです。
犠牲者はなかったということなので、すごいですね。
飛行中のわずかな接触も十分、墜落の原因となりますから、スキル、判断力、運も含めてとても素晴らしかったのではないかと思います。
ブルーインパルスの事故の原因は何?
ブルーインパルスの事故の原因は何だったのでしょうか。
明らかでないものもあるのですが、指示の遅れ、空間識失調に陥ったこと、飛行ルートを誤認などが挙げられるようです。
ブルーインパルスに搭乗できるのは戦闘機パイロットの中でも優秀な方々です。
その優秀な方々が陥るのですから、ブルーインパルスあるいは飛行の難易度があらわれますね。
まとめ
ブルーインパルスの過去の事故についてまとめてみました。
ブルーインパルスの事故は2024年3月までに6回ありました。
殉職者は8名。
原因は、指示の遅れ、空間識失調に陥ったこと、飛行ルートを誤認などです。
私たちに夢と感動をくれるブルーインパルス。
これからも私たちに素敵な展示飛行を見せてくれると思いますが、どうかパイロットたちが安全に飛行できるよう祈るばかりです。
いつも心が震える感動をありがとうございます。ぜひまた見に行きたいと思います。