世界的に活躍したピアニスト、フジコ・ヘミングの弟である大月ウルフさん。
大月ウルフさんは日本では俳優として活動をされていました。
主に、1960年代から特撮モノのTVドラマに悪役としてよく出演していましたので、目にした方も多いのではないかと思います。
そんな大月ウルフさんとフジコさんの姉弟仲はどうだったのでしょうか。
この記事では以下のことがわかります。
・大月ウルフとフジコ・ヘミングの仲は悪いのか。
・大月ウルフとフジコ・ヘミングの若い頃と晩年の関係。交流の有無。
大月ウルフと姉フジコは仲が悪い?若い頃の家族関係は?
大月ウルフさんと姉フジコさんの仲はどうだったのでしょうか。
また若い頃の家族関係は良好だったのでしょうか。
・大月ウルフとフジコ・ヘミングと母網子の仲は良好
ウルフさんの家族情報は以下になります。
■父:ヨスタ・ゲオルギー=ヘミング (スウェーデン人) 建築家
■母:大月投網子 (日本人) ピアニスト
■姉:フジコ・ヘミング(本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ) ピアニスト
■本人:大月ウルフ(本名:ウルフ・ゲオルギー=ヘミング 日本名:大月良雄) (日本人) 俳優
■従姪:橋本潮 歌手
ウルフさんが生まれたのは東京の聖路加国際病院ですが、フジコさんのインタビュー記事によると、家族が日本に移住したのはフジコさんが5歳の時となっています。
父、母、姉、ウルフさんの4人で日本に移住しました。
しかし、父のゲオルギーさんが日本に馴染めず家族3人を残して帰国してしまいます。
母子はスウェーデン国籍でしたが、22歳までにスウェーデンに入国しなかったため、スウェーデン国籍を失い、無国籍となっていました。
1972年に母網子さんとウルフさんが一緒に日本に帰化した経緯を考えると、母子関係は良好だったのではないかと推測できます。
またフジコさんのインタビュー記事『今は20匹の保護猫のためにピアノを弾くの。恋をしている瞬間が一番幸せ』に以下の文が載っていました。
戦中・戦後、外国人の父を持つフジコさんはいじめにもあったが、ウルフさんとは幼少期を支え合って仲良く過ごした。
婦人公論『フジコ・ヘミング「今は20匹の保護猫のためにピアノを弾くの。恋をしている瞬間が一番幸せ」』より抜粋
今はハーフ、クォーターの方も多い時代ですが、ウルフさんとフジコさんの幼少期では、親が外国人である子供は少なく、いじめも多々あったでしょう。
ウルフさんとフジコさんが幼少期を支え合って仲良く過ごされたことは、たやすく想像できますね。
↑大月ウルフさんが出演されている作品の1つです。
大月ウルフと姉フジコの晩年の家族関係は?
大月ウルフさんと姉フジコさんの晩年の家族関係はどうだったのでしょうか。
フジコさんのインタビュー記事を確認すると姉弟仲は良かったのではないかと推測できます。
20年には大きな別れもありました。8月に弟の大月ウルフが急逝したことは、まだ信じられない。1年くらい会えていなかったの。今も「オーイ!」と大きな声で、ここに入ってくるんじゃないかと思ってしまう。幼い時はケンカもしたけれど、思い出を話せる家族がいなくなるのは本当に寂しいこと。
婦人公論『フジコ・ヘミング「今は20匹の保護猫のためにピアノを弾くの。恋をしている瞬間が一番幸せ」』より抜粋
「一年くらい会えてなかったの」という言葉には、「1年も会えなかった」「会えなくて残念だった」といったニュアンスが感じられます。
弟ウルフさんへの愛情が感じられる言葉ですね。
「思い出を話せる家族がいなくなるのは本当に寂しいこと」と言う言葉にも、弟がこの世を去ったことを残念に、悲しく思われているのがよく伝わります。
また、ウルフさんは東京・世田谷にてカフェ・テアトロ『ラ・カンパネラ』フジ子・ヘミング記念芸術館のオーナーとしても活動されていました。
大事な記念芸術観を任せられるのですから、フジコさんはよほどウルフさんを信頼されていたのでしょう。
長い人生ですから、ケンカをしたり、仲違いをしたりといったこともあったのかもしれませんが、若い頃も、晩年も姉弟仲はよかったのだと考えられます。
まとめ
ウルフさんは2歳まで、父、母、姉との4人家族でした。
ウルフさんが2歳の頃、父がスウェーデンに単身帰国したため、母、姉とともに育ちました。
若い頃も晩年も、母子はずっと仲が良かったものだと推測できます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。