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中尾彬のねじねじマフラーは若い頃から?名付け親は?

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中尾彬のねじねじマフラーは若い頃から?名付け親は?

中尾彬さんといえば、ねじねじで有名です。

中尾彬さんは、若い頃からねじねじを装着していたのでしょうか。また、ねじねじの名付け親は誰なのでしょうか。

本記事では、ねじねじについての調査内容をまとめています。ねじねじに興味がある方は、ぜひご一読ください。

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ねじねじとは?

ねじねじは、中尾彬さんのトレードマークの1つになっています。

ねじねじとは、首にかけているマフラー(スカーフの場合もあり)をねじったもののことです。

ねじっているだけでは、すぐにほどけてしまうと思うので、ねじねじを維持するためにはコツがあると思います。

YouTubeなどで、ねじねじのやり方を紹介している動画もあるので、ねじねじをやってみたい方は、ねじねじのやり方をマスターしてください!

中尾彬のねじねじマフラーは若い頃から?

中尾彬さんは、長い間芸能界で活躍されています。若い頃からねじねじを着けていたのでしょうか。

ねじねじマフラーは若い頃から着けていた?
・若い頃はねじねじを着けていなかった
・ねじねじを着け始めたのは1990年代

中尾彬さんの若い頃の写真を確認すると、ねじねじを着けていないのがわかります。

このため、ねじねじマフラーは、若い頃から着けているわけではなく、今に至る過程で編み出した物であることがわかります。

では、中尾彬さんは、いつからねじねじを着けているのかというと、1990年代のようです。

インドネシアでのロケ中に、アクシデントによって帰国時の飛行機がなかなか飛ばなかったようです。イライラした中尾彬さんは、お気に入りの染め物であるバティックをこねくり回していたようです。

これを首にかけていると、神田正輝さんから「かっこいい」と言われたので、首にまくようになったようです。

中尾彬さんは、ネクタイを着けるのが嫌いらしく、ネクタイの代わりに着けていたようですね。

バティックは、日本では「ジャワ更紗(さらさ)」と呼ばれているようです。ジャワは生産地、更紗はインド発祥の木綿布のことです。

インドネシアのバティックはユネスコの世界無形文化遺産にも認定されています。

イライラしているときや、手持無沙汰のときは、物をこねくり回したりしちゃいますよね。その気持ちわかります!

ねじねじの名付け親は?

ねじねじの名付け親は誰なのでしょうか。

ねじねじの名付け親は、妻である池波志乃さん

中尾彬さんのねじねじは、「彬巻き」とも呼ばれています。「彬巻き」は誰が呼び始めたのかはわかりませんが、ねじねじと呼び始めたのは、妻である池波志乃さんのようです。

ねじねじの由来は、マフラーやスカーフをねじねじしているからだと思うので、わかりやすくて非常に良い名前だと思います!彬巻きより、イメージしやすいです。

中尾家では、「今日のねじねじはどれにするの?」といった会話があったのかもしれないですね。

まとめ

中尾彬さんがねじねじを始めたのは、1990年代のようです。長い間、ねじねじと共に生きてきたようですね。

中尾彬さんは、終活の一環として、所持していたマフラーやスカーフの半分を処分したそうです。長い間一緒にいたマフラーやスカーフを処分するのは、中尾彬さんとしても心苦しかったのではないでしょうか。

もう中尾彬さんのねじねじを見ることができないと思うと寂しいです。

中尾彬さんのご冥福をお祈りいたします。

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